「安っぽい携帯小説みたいだね」って言われたわたしの人生と理念について語ってみる

お仕事

はじめまして!の方も

もう知ってるわ!

ゆんころさん好き!><

 

って方も(ウザw)

 

このブログに目を通して頂き

ありがとうございます!

 

この記事を見ていただくことで

あなたの人生に、

何か響くものがあればいいなと思いながら

一生懸命書いていくので

ぜひ、最後まで目を通して頂けたら嬉しいです(*´ ˘ `*)

 

はじめに

まずは、簡単に自己紹介をさせていただきますね。

 

わたしは現在30代で、
3歳年上の旦那さんと、1歳半の娘と暮らしながら、都内の動物病院で看護師をしています。

 

  • 職場に産休・育休の手続きをして貰えない
  • 貯蓄を切り崩すだけの生活に病む
  • 思い切って始めた簡単・高収入を謳うスマホ副業に手を出して130万失う
  • 失意の中復職するも、ひどいパワハラに合う
  • その上休憩なしで7時間以上働いても、手取りはたったの14万
  • 時間も心も余裕がなくて、毎日イライラ。
  • 旦那さんと娘にも当たる日々。
  • 罪悪感で死にたくなる
  • ネットで最高月収540万の女性起業家さんの存在を知り、ネット収入を得られる仕組み作りに出会う
  • このままじゃいけない!と思い切って知識に投資、開始3ヶ月でネットから自動で収入を得られる仕組みを完成、資産構築!


これ読んだだけで
産後に復職を予定している妊婦さんや今、職場の人間関係で悩まれているワーママさんなどは吐きそうになる方もいるかもしれませんがw

 

こんな経験をしてきたわたしでも、

鈍足ではありながら

ネット上から自動で収入を得られる資産を構築できたし、

何事にも変え難い素敵な人たちと出会うことができて

自分の人生を変えるための大きな一歩を踏み出す事が出来ました。

 

 

その軌跡を知ってもらう事で
今悩んでいる方の背中をポンっと押せたらいいな、と思いますので、

肩の力を抜いていただいて、お暇な時に目を通してみてください(*´ ˘ `*)

 

 

ゆんころ人生年表

 

さて。

前置きが長くなってしまいましたが、

ここからは、わたしの自己紹介でもしていこうと思います!

幼少期〜待望の第一子・両親の不仲、母の依存〜

実は、わたしの母は、
1度目に流産、2度目に死産を経験しています。

 

わたしを妊娠中も、
妊娠中毒に苦しめられ、全身ぶくぶくに浮腫み、
水を飲むだけでも太ってしまい、
体重は妊娠前から20kgの増量…
当然出産も難航し、丸2日以上微弱陣痛に苦しめられ…

 

そんな中、ようやく生まれた待望の第一子。
それがゆんころでした。

 

父は警察官で、当時ようやく出世ルートに乗り始めた頃。

 

毎日のように上司に付き合い飲み会に参加し、
そんな状態で当直勤務もこなしていましたので、まともな時間に帰宅することはありませんでした。

 

実家が遠方のため里帰り出産が出来なかった母は、
本当に1人きりでわたしを育ててくれました。

 

1番デリケートな時期に、父は仕事を優先してしまい、母に寄り添えなかったんですね。

 

そんなわけで、夫婦の中はみるみる悪化。

 

慣れない家事と育児にでヒステリックを起こした母は
酔っ払って帰ってきた父を家から締め出し、
開いていた窓から手を差し込む父の手スレスレの場所に、
思い切り包丁を突き立てたこともあったそう。笑

 

そんな拒絶のされ方をして、父もどんどん家に寄り付かなくなっていき、

比例するように母は
どんどんわたしに依存するようになりました。

 

そして、自分の人生そのものをわたしに託すようになります。

 

 

「ゆんころは裏切らないよね」

「こんなに面倒みてやってるんだから」

「ママの言うことが1番正しいんだからね」

「言うことを聞かない子は、施設に預けるよ」

 

耳にこびりつくくらい言われ続けた呪いの言葉たちは、今思い返してもわたしの胸をザワザワとさせます。

 

そしてこれが、後に離別のきっかけになるのはまたもう少し後のお話…。

 

壮絶ないじめに合った小学生時代

小学校の入学と同時に、我が家には新しい家族が出来ました。

兄弟の中でも一際大きかった、シーズーの男の子。

 

あんまりのかわいさに、
わたしは彼に夢中になり、この時
「将来は、獣医さんになる!」と決めました。

 

しかし、小学校も高学年になる頃にやっていたドラマ
「愛犬ロシナンテの災難」を見て、
獣医さんになるためには、実験犬がいて、安楽死などもしなければいけないことを知り、わたしには無理だと思いました。

その時から、「動物看護師」を目指す事に。

 

小学校での学校生活は、
成績も悪くなく、
友達も少なくなく。

なんの不自由もなく生活をしていましたが、それも小学校4年生で終わりを迎えることになります。

 

視力の急激な低下により、メガネを着用するようになり、
そして同時期に、腰まであった髪の毛をバッサリと切りました。

 

ものすごい癖毛のわたしの髪は、
重さを失い渦を巻くようにうねり、
当時は日焼けで肌も浅黒く、
ビン底のように分厚い地味なメガネをしていたため、
“薄汚い”イメージになりました。

 

「おばさんみたい」
「髪の毛汚い」
「キモい」「ブス」

 

きっかけなんてなんでも良かったんだと思います。

わたしは一瞬でいじめの対象になりました。

 

 

運動会のリレー競走の選手を決める時、
クラス中の女子が口裏を合わせて手を抜いて走り、
そんなに足も早くないわたしがリレーの選手になり
当日は当然早く走れなくて「お前のせいだ」と罵られたり

 

母が買ってくれた可愛いペンケースはゴミ箱に捨てられ
お気に入りのペンは、全て折られました。

 

市で表彰された絵や工作物が展示会から戻ってくると
即刻で破かれたり壊されたり、落書きされたりも。

 

1番辛かったのは、
わたしのいじめの主犯格の男子が、わたしの真後ろの席になり
「空気が臭い」「目が腐る」などと後ろからゴミを投げ続けられていた時。

 

新人教師に「そこうるさいですよ!」と注意された拍子に

 

「お前のせいで!」と、逆上した主犯格の男子が、わたしの後頭部を目掛けて手当たり次第のものを投げつけ始めました。

 

ちょうど学園祭の準備の時期で、工具がたくさんあったこともあり
ドライバーやハサミ、カッター、ベニヤ板、
果ては椅子に机を投げつけられ、後頭部や首が切れて出血しました。

 

椅子や机などは重量もそれなりにあったので、
ムチウチになったかな?って思うくらい
首がガッコンガッコンしなった記憶があります。

 

その状況を見た新人教師は、泣きながら

「こんなクラスはもう知りません!」

 


教室から飛び出していき、

 

その後他の先生がフォローに来るでもなく、
ヒートアップしたその男子はわたしの髪を掴み、
教室中を引きずり回し、ボコボコに殴る蹴るなどして、
わたしが動けなくなったことで事態は収束したのでした。

 

教室を飛び出していった新人教師は、
後日辞めたと知らされました。

 

この時、
「先生は助けてくれないんだ」
「大人は頼れない」と悟り、

このあとそんなに期間をあけず、
わたしは左耳が聞こえなくなりました。

 

母はわたしの体調不良のときなど
「親の言うことを聞かないからだろ!」と
ヒステリックになる節があったので、
耳が聞こえないかもなんて事、恐ろしくていえなかった。

 

結局、のちの聴力検査に引っかかり
精密検査を受ける事になりましたが、原因は不明。

 

「突発性難聴」と診断され、
早急な処置がなされなかったため、わたしの左耳は完全に失聴してしまいました。

 

中学時代。秀でていれば誰も何も言えない事に気付く。

中学校は、学区内の4つの小学科から持ち上がりだったから、わたしを病原菌のように扱う風潮は、あっという間に中学校でも広まりました。

 

ずっと希望していた吹奏楽部に入部したものの、
夏のコンクールに向けて、夜の練習が終わるのが遅かったことで、わたしが帰り道に性的な被害を受けてしまい、
どこから漏れたかその情報が学年に広まり

「ヤリマン」「売女」って言われるようになりました。(売女って単語、中学生が知ってるもん?w)

 

この時から、なぜかわたしの扱いは
病原菌から、男子の性的な対象になるように。

 

その件もあったからか、

何故か学年のモテ男に告白され付き合うことになり
小学校の頃から彼の事を気にしていた女子勢には最大に嫌われ、

「色気付きやがって」と母親にもブチギレられ、
携帯を持たされ、今どこにいて何時に帰ってくるのか、
数分でも過ぎた瞬間に何十件も着信が入り、
出かけるのも、親の許可が必要になってしまいました。

友達に対しても、彼に対しても、
「あいつは、お前には釣り合っていない」と言われ続け、

わたしの話など一切耳を貸さず、
自分の思い通りにならなければ怒鳴り、それでも聞かなければ殴ってくる母親に、小学校の頃のような恐怖よりも、嫌悪の方が勝るようになりました。

 

部活はというと、人気の部でとても部員の人数が多かったから、夏のコンクールに出場できるメンバーは選抜でした。

なぜか先輩を差し置いてわたしが選ばれ、部活でも先輩からの風当たりがきつくなってしまいます。

 

だけど、アンサンブルコンテストで優勝したり、

先輩が出来ないような演奏をすることで、「生意気だ」みたいな陰口は言われるものの文句は言われなくなったし、

小学校から習ってきたピアノを活かして
合唱コンクールで伴奏をしたりとしているうちに
学年でも、技術的な面では一一目おかれるようになりました。

 

 

ここでわたしは気付く。

 

「何かが秀でていれば、

それに関しては誰も何も言えない」

 

こうして、わたしは自分の好きなこと、得意なことだけに没頭する偏った中学生になってしまったのでしたw

 

 

高校時代。〜二度の自殺未遂〜

小学校、中学校の知り合いと一緒の高校には進学したくなくて、

中学校時代の彼氏と一緒に学区外の高校に進学するものの、

カップルで学区外に来た事で好奇の目に晒され、

ひやかしてきた人物に暴力事件を起こし、彼氏が進学早々停学処分に。

 

見た目も地味なわたしが速攻で手を出すような男と付き合ってることがあっという間に学年に広まり、

女子グループからは憐れみのような視線をうけ、
男子グループからはさらに好奇の目に晒されることに。笑

 

 

“見た目が地味”

これが肝で、男子グループからはまた

「ヤらせろ」だの、

「彼氏つくるなら〇〇さんみたいに可愛くなってからにしろよな」と、

容姿のことでいじられる日々が始まりました。

 

しかしこの時、
中学校の時に吹奏楽部でパーカッションを経験していた事から、

軽音部に誘われてバンドを組む事に。

 

学園祭や体育祭、人前でライブする機会はそこそこにあったし、

経験者の集まりでバンドを組んだ事から、上級生よりも演奏技術が高いと話題になり、

露骨にイジってくる人はあっという間にいなくなりました。笑

 

そして、この時からわたしの高校デビューがはじまり、

メガネを辞めコンタクトに変え、
カラコンを入れ、

付けマツゲをバシバシにつけ、

髪も金髪とか、脱色してピンク入れたり、今まで興味はあれどしてこなかった事に全力を尽くし始めます。

 

すると、今度は中学校来の彼氏が良い気分ではありません。

 

「俺は清楚な子が好みだ」
「中学の時から可哀想だったから助けてやってたのに」

 

そう言われるようになり、

果てはわたしのバンドのサブボーカルの子が好きになったから別れて欲しいと。

 

それで申し訳なく思ったのか、サブボーカルの子は脱退、
彼氏からは

「お前が居たせいで振られた、絶対両思いだったのに」
「心はTが好きだけど、お前とは別れない。お前は身体だけ俺に使わせてれば良い」

と意味が分からない事を言われ始めます。

 

でも、

もう見た目が変わった事で

そこそこ別の男子や他校からも声が掛かるようになっていたし、
そんな事を言ってくる男となんて、付き合い続ける理由もないわけで。

なので、こちらから丁重にもう別れよう、って話をしたんですが。

 

まさか自分が振られるとは思っていなかったのか、
逆上され、いつも2人で待ち合わせしていたちょっとした山の上にある公園(首吊り自殺の名所)でボッコボコにされ、動けなくなったところを、抱えられ、フェンスから山の下にポーイと捨てられました。

(軽い殺人未遂事件w)

 

斜面をゴロゴロと転がり落ちたので、

枝は刺さるわ、

服は破けるわ、

ほんとに山の上の公園だったので、

車道まで出るのにもっと下らなきゃいけないわで、

そろそろ自分の人生が悲しくなってきます。

 

 

「なんでわたしばっかりこんな目に」

 

 

涙を拭いた手にはべっとりと血が付き、自分が大量に鼻血を出している事に気づいて、また虚しくなりました。

(後日、鼻は骨折していました)

 

 

見た目のことでいじめられ、
友人もいじめに巻き込まれたくないからと疎遠になり、
彼氏が出来たら出来たで今度は親と揉め、
高校に進学して、ようやく楽しくなってきたところで
彼氏には「可哀想だったから付き合ったのに」と言われ、
理不尽な事を言われ、思い通りにならなきゃボコボコにされ…

 

 

 

「わたしの味方なんて、この世に1人も存在していない」
「わたしなんて、この世に必要ない」
「わたしを傷つける奴ら全員、死んだわたしの姿でも見て後悔したらいい」

 

 

 

衝動でした。

 

 

その日の夜、

もともと精神が不安定でかかっていた精神科で貰った内服を全て胃の中に掻き込み、

愛用の貝殻印の剃刀で、思い切り左手首を切りました。

 

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目が覚めて、残っていたのは
脳みそを直に金槌で殴られているような激しい頭痛と、
胃を火炙りにされているような吐き気と、
感覚を失った左腕だけでした。

 

 

 

…死ねなかった。

 

 

 

 

「いくじなし。」

焼けた喉から、そう嘆いていました。

 

 

 

 

その後、その彼氏とは無事破局。

 

しかし、切った左腕の傷が想像以上に深かったらしく
左腕の神経を傷つけてしまっていたようで
動かせはするものの、以前のように指先を繊細には動かせなくななってしまい、小学校から続けていたピアノも辞めました。

 

 

思えばこのピアノ教室も、12年通ったものの、
コンクールの結果は、いつも2番でした。

 

「表現力が豊か」
「吸収力の高さが段違い」と言われたものの、

 

教室には、2つ年上の人がいて。

いつも、
発表会の大取りも、
コンクールの順位も、
その人の次だった。

 

ほんとに負けず嫌いなんで。笑
それがずっとずっと、悔しくてたまらなかったんですね。

 

勢いに任せてだったけど、
こんな形でピアノを止める事になって。

 

今度は、バンド活動に専念する様になりました。

 

ドラムが叩けるってだけで、めちゃくちゃ女子にモテて。笑

露出が増えた年のバレンタインは、なんと他校含め54個もチョコを貰いました。笑

 

「俺はこの道を極める…!」(性別w)

と、新たな活路に胸躍らせたものの、

 

決勝まで残れば、横浜アリーナでライブができる!と言われていた「高校生バンド選手権」では、
準決勝で、その年の優勝者とあたり、準決勝敗退。

 

楽曲を提供され、各々オリジナルのアレンジや歌詞をつけて、CDデビューを競う深夜の番組に応募し当選。

その後学校まで取材が来たり、

密着取材を受けるなどしたにも関わらず、スタジオ収録の前日に、ボーカルがインフルエンザで棄権…

 

 

 

「ん?これはもしかして、このルートはご縁がないルートなのかな???(^o^)」

 

って思うくらい、

 

また、2番目。
もしくは、一歩手前で手が届かない。

 

またしても、2番目へのコンプレックスを募らせる結果となり、

 

その結果、
「誰かの1番になりたい」と強く思うようになっていき
今度は異性交遊にどっぷりハマっていきます。

 

とりあえず好かれれば拒否はしないという体操概念の低さを発揮w

 

 

クソビッチゆんころの爆誕です。

 

 

でも、そんなことしてても、結局心は埋まらないんですよね。

 

そして、平行して、わたしの不純異性交友に関して、母親がついに日常的に手をあげるようになり、

連絡手段を取り上げ、

家から出れないように拘束し、
その間高校は休ませられ、

逆らえばボコボコにされました。

 

「育て方失敗した」
「金食い虫」
「産まなきゃ良かった」

 

そう言われ続けて、

ついに限界を迎えたわたしは、
部屋のドアノブが下げられないように、ドアノブにピッタリ高さの棚を設置して、
押しても扉が開かないよう、隙間なく家具を設置して、

自室のどっかで首でも吊ろうかと考えます。

 

事前に調べてあった方法で首を吊る用のヒモを編みながら、

ゆんころ、考える。

 

 

「あれ、どこで首吊るの?」

 

 

そう、わたしの部屋には紐をひっかける場所がない…!

 

なんたる凡ミス…

見切り発車すぎて笑えてきました。

 

 

「あ、クローゼットがあんじゃん!」

 

とクローゼットの方に目を向けるも、入られないようにと部屋中の家具を扉から壁にかけて設置していたので、

クローゼットの扉、家具をどかさないと開けれない…

 

悩んでいる間に、わたしがあまりに静かな事に気付いた両親が部屋に入ろうとしてきました。

ドアノブが下がらない

ヤケを起こしているのでは!?

 

と、今度は外でやんややんやと扉を開けようと騒がしくなってきます。笑

 

「あー、なんかめんどくせぇー」

「どうせ死ぬなら、静かに死にたい…」

 

興が削がれたわたしは、扉を破壊しようと工事現場のような音を立てている場面を、ただボーッと眺めて終わりました。

 

父親からは、「バカなことをするな」と叱られましたが

母親からは「わたしは間違っていない。お前がおかしい。絶対に謝らない」と吐き捨てられました。

もう、修復は不可能だと思いました。

 

2度も自殺に失敗してもなお、

生きる価値が見出せず、

ぼんやりと

 

「明日には、目を覚ますことなく死んでないかなぁ」

 

と考える日々を過ごしたまま、高校を卒業することになります。

専門時代。〜卒業旅行・ドイツの地で突然の救急搬送とかぼちゃパンツ〜

小学校のとき、
ドラマの影響で”獣医さん”は自分には無理だと諦め、
高校で、
自ら”ピアノ”の道を断ち、音大への道も消え、
“イラスト”を描くのは好きだったし、
よく表彰されたりもしたけれど、美大志望の子たちと肩を並べると没個性だという事に気付き諦め、
“バンド”活動も、
いつも「ここ!」ってところでどうしてもタイミングを逃してしまっていたため、
バンド活動は続けるものの、
それ一つに絞るには経済面で怖かったので、
何かもう一つ、確実に収入の得られる資格が欲しいな、と考えながらの進学でした。
なので、
実家の犬の影響で唯一純粋にずっと好きでいられた、
小学校の頃から夢見ていた”動物看護師”になるため、ペット科の専門学校に進学しました。

 

実は、進路は高校2年の時点で、

特待生で進学する事が決まっていたので、

それもあってバンド活動に明けくれていたんですけど。笑

 

専門学校は本当に楽しくて、

 

学校犬は可愛いし
(家の犬が嫉妬して口聞いてくれなくなったけどw)
実家の犬を連れて通学出来るし、
朝は学校犬のお世話があるからめちゃくちゃ早かったけど全然苦じゃなかったし、
好きな事をするって、こんなに没頭出来るのか!!を改めて知る良い機会になりました。
(高校の時は上から5番以内に入るレベルで遅刻していたのにw)
相変わらず同い年のグループの子たちにはなぜか好かれず、
特に誰とも群れず、
たまに年上グループと一緒にグループ活動をしたりなんかして、
のらりくらりと専門学校生活を終えます。
大好きな犬と戯れて過ごした幸せな2年間も、
あっという間に終わりを迎え、時は3月。
専門学校の卒業式も終え、
卒業旅行でドイツに行く事に。
全く英語もドイツ語も喋れないのに、
ホテル近くのバーを予約して連日通ったり、
昼間っからビアガーデンで樽からビールを浴びるように飲んだり…
もうほんとに、人生変わる!ってくらい楽しい数日間でした。
しかし、帰還当日の朝。
朝食のビュッフェで食べた生魚に当たり、そのホテルの宿泊客で集団食中毒が起きました。
飛行機のトイレは嘔吐する人で列をなし、
テロではないかとフライトは中止になり、

緊急の脱出路が開放され、

滑り台を滑って飛行機を降りたのち、

そのまま隔離棟に一晩隔離。

 

わたしは発症が1番遅くて、

ようやく隔離棟から開放されて、

手配してもらったホテルについた翌朝に発熱と嘔吐が出ました。

 

感染の可能性があるからと、

ホテル裏口にベタつけされる救急車。

 

完全防備の救急隊員。

 

救急車で搬送中に、熱がひどいからと急いでルートを確保するも、

わたしは血管が細すぎるため腕では取れず、手の甲にルートを取られ、

 

「ブチィッ」って音がしました。

 

注射嫌いだったからマジで泣いた。

そしてついた病院では即刻隔離され、

洋服も身包み剥がされ、

紙のカボチャパンツと紙のポンチョに着替えさせられましたw

 

(一応部屋にはシャワー室があったけど、吐いたり漏らしても良いようにと変えの紙パンツとポンチョが傍にいっぱい置いてあったw)

 

熱は42度を超えていて、
その日眠って、次に目覚めたのは2日後w

 

 

事件は、わたしが寝ている間に起きていたようで…

 

どうやら、フランクフルト周辺の隔離病棟が満床になってしまっていたため、

1番最後に発症したわたしは、

救急車に乗せられ、

ガイドさんも知らないような端っこ〜の病院に搬送されていたようでした。

 

その間わたしは消息不明扱いになり、

ガイドさんかめちゃくちゃ必死に探してくれたらしいw

 

この集団食中毒事件は、

翌朝のドイツ紙の一面を飾り、

日本でもフジテレビデ朝晩と報道されたらしい。
(入院患者12人中のひとりがわたしなのでしたw)

ちなみに、無事に退院して帰国後、
ドイツの病院からの請求書を見たら、請求額が250万を軽く超えていて、
「1番安くても保険に入っていってて良かったー!!!」
と心底思いましたとさ(^q^)笑

最初の就職で禿げる

 

就職活動は、意外と難航はしませんでした。

 

半年間の研修期間を設けるよ、と言われたものの、動物病院に就職も無事に決まりました。

 

出勤初日に
「うちの病院にはわたしがいるから看護師なんていらないんだけどね」
と院長の娘(獣医師)に吐き捨てられたり、

 

病院に捨てられていた健康な小型犬を使って
新人獣医師が内視鏡の胃壁を採取する練習をしていたり、
小型犬から輸血用の血を採血したり、

 

深夜まで緊急対応していても、
院長一家は17時に家族揃って帰宅しているので

親が

「まだ娘が帰宅しないんですが…」

「連絡もつかなくて…」

って連絡を入れても

 

「残業はお宅の娘さんの実力不足では?」
「そもそも病院はもう閉まっている時間ですし、黙って遊び呆けているのでは?」

 

と返したり
まあそれはもう絵に描いたような酷い病院で、
2ヶ月で禿げました。笑

 

しかもね、すっごいでっかいやつ!

頭のてっぺんにね、直径10cmくらいの!!

 

そしてその後3年に渡って、この禿げは生え揃わないのであった…

 

親との確執が限界突破で家出

色々あって禿げたのち、はじめての就職先の動物病院を辞めたゆんころ。

 

「え、動物病院ってこんなにしんどいん…?」

 

って思って、今度は通勤可能範囲で1番大きいペットショップの、生体管理として働くことに。

 

これがまぁ、
子犬、子猫のまぁ〜〜〜〜っ可愛い事!

 

 

わたしは、この仕事に没頭していきます。

 

朝は7時半、契約上の退勤は17時だけど、頭数が50頭以上いたので、販売スタッフだけではまわせないため、毎日23時近くまで残業して働く生活。

 

しかも相手は赤ちゃん。

すぐに体調を崩すし、少しでも判断を誤れば命を落としてしまうこともあります。

なので、もうほぼ住み込みで働いていましたw

 

しかし、会社には
体調を崩すのは管理が悪いせいだからと勤務時間外に夜間救急に駆け込んだ分の治療費は経費でおろしてもらえず、(一回受診で3万は軽く超える。これが毎回自費)

深夜残業は普通残業に変更され、
なんなら通常残業はカットされていました(›´ω`‹ )oh…

 

そんなもんだから、手取りは毎月9万前後ほどしかなかったんですね。

 

それでも、子犬や子猫は可愛かったし、
わたしが居ないと死んでしまうかも!と思うと休みも取る気が起きなくて、そのまま仕事を続けていました。

 

忙しさを理由に、親と顔を合わせなくて済むのも大きかったのかも知れない。

 

そんな生活を、3年と少し。

当時の彼が、電車で片道2時間かかる地への転勤が決まり、中距離恋愛に。

ただでさえ少ない休日も、朝早く家を出て、夜遅くに帰宅する生活が始まりました。

 

そこで黙ってないのが、うちの親です。笑

 

「そんな男ロクな男じゃない」
「そんなに家が嫌ならさっさと出て行け」

 

「虐待されてると思うなら、本当にしてやるよ!」
と言われ、テレビのリモコンで指先を一本ずつ思い切り潰された事もありました。

 

もはや顔を合わせるだけでそんな状態だったので、
さすがにもう耐えられないからと、
22歳のクリスマスイブに、親には何も言わずに家を出ました。

 

動物病院に転職。彼のおかげで、家族関係が修復できました。

一人暮らしを始めてからは、親とは絶縁状態で過ごしました。
その間に、もう年老いてきた実家の犬の事も考えて、知識が欲しいと動物病院に転職するという矛盾…
近くにいてあげられないフラストレーションを、
職場のハイシニアの子に向けたり、
介護やペットロスのセミナーなどに通いまくる生活を送ります。
そんな中、中距離恋愛をしていた彼氏に多額の借金やら色々と発覚し破局。

その頃に被せるようにして、実家の犬の体調が悪化した報告を受けます。

家出をしたときには、まだすごく元気だったから。

 

頭を鈍器で殴られたような衝撃と、

ハイシニアの子は、

いつ何が起きてもおかしくないって

1番自分が分かっていたはずなのに。

 

というショックとで、しばらく声が出せませんでした。

 

友達のように、兄のように、

守り、守られながら成長してきた、

彼の存在はわたしの中で測りきれないほど大きくて。

 

親への確執とか、そんなもんはどうでも良いと思い、報告を受けたその足で、荷物も持たずに実家へと戻りました。

 

夜もまともに寝ずに長い介護生活を1人でこなしていた母と相談して、
睡眠薬を使用することに決め、
夜間のお世話も交代でするようにしたり、

 

自力で排泄ができなくなったときには
両親にやり方を教えて実践して貰ったり、

 

今まで離れていた間に学んだ知識を、
大切な家族のために最大限に活かすことが出来、

そして、今までで1番なんじゃないか?って思うほど
家族全員で協力しながら、彼の介護をしました。

飲まず食わず、まともに寝ることも叶わず苦しそうに鳴くだけだった彼が、
家族全員の努力のおかげで、
食事も撮れるようになり、
夜もお薬に頼りながらではありますが、まとまって眠ることも出来るくらいまで回復。
その後、大きく苦しむ事もなく、亡くなる当日の朝までしっかりと食事をして、彼は旅立っていきました。
この一件から、
何も言わず家を出た後ろめたさや
“自分は親不孝者だ”
そう自分で思っていた分を
取り返すように、
適度な距離を保ちながらではありますが、
自分の事を、親に伝える努力をしました。
旦那さんと付き合うことが出来た時も
1番最初に報告したし、
妊娠した時も、陣痛がきた時も。
出産して、立ち会ってくれた旦那さんをお仕事に見送った後
1番初めに面会に飛び込んできてくれたのは両親でした。
産後の高熱と痛みでぐったりしたわたしを見て涙を流し、
生まれて6時間足らずの娘の小さな体を抱きしめて
両親は干からびてミイラになるんじゃないかってくらい泣いていました。
「ああ、あのまま絶縁していなくて良かった」
そう、心の底から思いました。

 

きっと、彼は、一旦距離を置いてお互いに落ち着いた頃合いを見計らって

わたしたちを、引き合わせてくれたんだ。

そう思っています。

 

ネットビジネスに出会い今、そしてこれから…

思い返してみても辛い人生だったな、と自分でも思いますが、

 

親とも和解して、

めっちゃアプローチして口説き落とした最愛の人と結婚して、

天使のようなマイエンジェルも生まれ、マイホームも購入して…

 

人生の幸せのピークか!!って思ってたんですよ!!!!!

 

なのに、その頃合いで、

まさかの職場に産休・育休の手続きをして貰えず

金銭的な問題にぶち当たります。笑

 

そして

「こりゃ自分でどげんかせんといかん!!!」

「あんなテキトーな責任者に、自分の生活を任せておけんわ!!!」と副業について調べ始め、

あれやこれやとトライ&エラーを繰り返し、今、こうして情報発信をさせて頂いている次第です。

 

 

理念

 

ネットビジネスって聞くと
「どうせ詐欺でしょ」とか
怪しまれる方も多いと思います。

 

わたしも実際、簡単・高収入を謳う
うさんくさい副業に手を出して
130万を失いましたし、
そういった被害があるのは事実です。

 

しかし、今わたしが学んでいる内容は

 

そういった詐欺商材や、MLM
せどりや動画投稿などとは違い、

 

ネット上に仕組みを作ることで
「寝ている間でも自動的に売り上げが出る」
っていうビジネスモデルなんですね。

 

今現在、副業として人気のある
動画投稿や、ブログ投稿など
作業をやめたら収入が減少してしまうようなビジネスモデルでは、
いつまで経っても自分の時間は持てません。

 

ワーママって正直、
朝から晩まで髪の毛振り乱しながら
家事に育児に仕事にって生活しているので、そんな時間作れるなら、1分でも長く休息を取りたい( ´_ゝ`)真顔

 

 

その点、

わたしが今学んでいるビジネスは、

作り上げるまでは少し大変ですが

 

仕組みさえ出来上がってしまえば、
全てネットが自動で働いてくれるので
作業にあてる時間も必要ありません。

 

そうする事で何が生まれるのか?

わたしの理想で書き出してみると

  • 家族と過ごす時間が増やせる
  • 生活の為にと無理に残業しなくて良い
  • なんなら得られた収入の分、
    働く時間を減らして自分の時間を増やせる
  • 毎朝いろいろな準備に追われ、時間通りに動いてくれない子どもにイライラしなくて済む
  • 向上心の高い素敵な仲間とビジネスが出来る
  • 子どものやりたい!をお金を理由に諦めなくて良くなる
  • 自分の欲しい!やりたい!も、お金や時間を理由に諦めなくて良くなる
  • 時間や場所に縛られない働き方ができる
  • 子持ちってだけで色々言ってくるような嫌な人たちとの人間付き合いがなくなる
  • ストレスのない生活が送れる

こんな、理想の生活を送ることも夢ではなくなります。

 

わたしが理想としている生活って、

お金があれば解決できる理想もいくらかはありますが、

 

「家族と過ごす時間」だったり

「時間に追われてイライラしない」だったり

「好きな人とだけ仕事がしたい!」

「ストレスかかる人とは仕事しない!」とか

“お金があるだけ”では解決できないようなものも多かったりします。

 

お金を稼ぐだけで良いなら

出勤時間を増やして残業手当を貰うなり

ダブルワークをするなりすれば

確かに収入は増えますが

 

時間に追われてしまって

思い通りに動いてくれない子どもにイライラしてしまったり

家族と過ごす時間も減ってしまっていては

わたしの理想とは程遠いというか

むしろ逆を行ってしまっています。

 

“お金を稼ぐ”っていうのは

理想を達成するための手段の一つであって、

お金だけ稼げたら幸せ!っていうのとは

またちょっと違うと思うんですよね。

 

簡単・高収入!を謳ううさんくさい副業に

手を出して失敗してきたからこそ

よりそう思うようになったのかもしれませんがw

 

そんな中で、出会うことができた

「仕組み化」という方法であれば、

 

仕組みを構築することで

ネットが自動で働いてくれるので

時間の自由も得られるし

安定的な収入が上がってくるようにできれば

金銭的な自由も得られます。

 

 

「時間も、お金も自由に。」

 

 

 

そうすることで、

嫌な環境に身を置く必要もなくなり

時間に縛られ子どもにイライラする事もなく

家族との時間も十分に取ることができる。

 

自分の好きな時、自分の好きな人と

一緒に仕事がする事ができる…

 

わたしが目標としている場所はそこであり、

自分が理想としている生活のために、

今後もどんどん行動を起こして、その理想を作り上げていきたいと思っています。

 

 

「理想の未来は自分でつくる」

 

 

これを理念として、

今後もビジネスを発信していこうと思いますので、どうぞよろしくお願いします!

 

長くなりましたが、

ここまで読んでくださり
本当にありがとうございました!

ゆんころ

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